ITサービスの価格の決め方
新人コンサルタント時代、客先でダラダラ仕事をしていると、上司から怒られた。
「お客さんがお前にいくら払ってるのか、分かってるか?」
どでかいコンサルティングファームに所属するコンサルタントは軒並み単価が高い。トップファームのマッキンゼーのシニアコンサルタント(主任級)を雇うと、時間当たり8万円もかかる。医者や弁護士より高い。
といっても、著名人が講演をすると時間あたりで何十万円とかかることもあるし、スポーツ選手はもっと高いし、よざーさんは秒速で1億円稼ぐし、上には上がいる。
ミクロ経済学の最も基本的な考え方に基づくと、競争市場においては、モノやサービスの価格は、需要と供給によって決まる。価格を上げ過ぎると売上数量が減少し、価格を下げ過ぎると売上数量が上昇する。売上 (価格×数量)が最大化するのは需要と供給が均衡する場所だ。モノ・サービスの供給者は、この均衡する場所を追い求め、価格を決定する。
モノ・サービスが、独占状態とはいかないまでも、希少であった場合、価格が非弾力的(価格の変化に対する需要の変化が緩やかに)になり、上昇する。日本に数百人しかいないマッキンゼーのコンサルタントをあらゆる企業が挙って「雇いたい」と思えば、限られた人的資源を巡って、価格が上昇する。
需要と供給が均衡する場所を探し求めることは、企業にとって、最も難しい仕事の一つだ。
類似するモノ・サービスが市場に存在する場合は、その均衡する価格が競合他社によって発見されているため、その価格を真似すれば良い。ラーメンは1杯700円。美容院のカットは1回4,000円といった具合だ。
しかし、類似品がまだ世に出ていない、新しいサービスの価格はどうやって決めればいいのだろうか。特に、市場がそもそも形成されていないようなITサービスの価格を、企業はどのように決めればよいのだろうか。
【目次】
最も単純なコストプラス法
最も単純なのは商材の単位あたり原価を計算し、そこに一定の付加率(原価に対する利益の割合)をのっけて価格を決めるコストプラス法という手法だ。
コストプラス法に基づいて価格を決定すると、営業目標の立案が単純になる。単位当たりの原価について、変動費(限界費用ともいう)は販売数量の変化に応じて発生するが、固定費は販売数量の変化に関わらず一定額発生する。販売数量が増えれば増えるほど、単位あたりの固定費配賦額は下がる。なので、価格と原価(単位当たりの変動費と固定費の合算値)の割合が、目標の付加率に達するために必要な販売数量を営業目標値に設定すればよい。
例えば、新しい生産設備を購入して、工員を一人雇い、製品の製造を始めた。工員は時間当たりで給料が発生するため、変動費だ。製造する時間が長くなれば、それだけ多くの費用がかかる。一方、生産設備は、製造する時間が長くなっても、購入費用以外の費用は殆ど発生しない(エネルギー費、メンテ費等を無視すれば)。コストプラス法により価格を設定した場合、この生産設備の費用がペイするだけの設備稼働率を営業目標に設定すればよい。
…というのがコストプラス法なのだが、これはITサービスには適用し難い手法だ。なぜかと言えば、ITサービスは原価における変動費の割合が極端に少ないからだ。
新しいアプリを開発したとして、開発が完了してしまえば、後はGoogle PlayかApp Storeで公開すればよい。100人がダウンロードしようが、100,000人がダウンロードしようが、ダウンロード数に応じた費用は発生しない。アプリの開発に要する費用は大きいが、開発が完了した後に必要なのは、金額が平準化し難い販売管理費用だけだ。
変動費が極端に低いということは、売れば売るほど単位あたりの固定費配賦額が下がり、結果、利益がバカみたいに上昇する。例えばトヨタ自動車の営業利益率は10%程度。対して、DeNAの営業利益率は40%弱だ。
それじゃあ、ダウンロード数・ユーザー数の目標値を決めて、単位当たり原価を算出して、DeNAやIT業界全体の平均利益率を使って価格を決めればいいじゃん、と思うかもしれないが、そうはいかない。
利益率が高いということは、価格決定の裁量幅が広いということだ。高い利益率を見込んで価格を設定していたら、すぐさま競合他社が市場に参入してきて、その高い利益率を切り捨てた価格を設定し、市場を食い始める。参入障壁が低い市場において、高い利益率を維持しながらビジネスを展開するなど、不可能に近い。
高い利益率を維持するべく、強固なブランドを築いたり、知的財産で身を守ったり、ネットワーク外部性を築けばよいのだが、いずれの手法も莫大な資金を要する。大企業ならいざ知らず、未知な市場を開拓しようとするベンチャー企業には難しい。
とりあえず、無料で
ITサービスの価格は、裁量権が大きすぎて、とても決められない。いっそのこと、全部無料にしてしまえばいい。そんなことを最もラディカルに進める企業がネット界の巨人Googleである。
Googleはあらゆるサービスを無料で提供する。GmailもGoogle MapもYoutubeも、勿論検索サービスも、全部無料だ。ユーザーは一切の金を支払わず、世界で最も優れたサービスを使用できる。
とはいえ、Googleは慈善団体ではないので、利益を一切期待せずにサービスを提供しているわけではない。"タダで出されたおつまみのコストは、遅かれ早かれ、誰かのビールの代金でカバーされなくてはならない。"
平たく言えば、その源泉は広告だ。
常時5億人以上が使用しているGoogleの検索ページは、ユーザー一人ひとりの好みやジオグラフィック情報を基に最適化された広告がリストされるスペースだ。膨大なネット上のデータとユーザー情報がGoogleの広告提案機能を強化し、結果として、多くの広告主を惹きつける。
とはいえ、あらゆるITサービス企業がGoogleを真似して価格を無料にするのは難しい。パンピーがイーサン・ハントを真似て素手で絶壁を登るに等しい行為だ。
あらゆるITサービスで広告は主要な収入源なれど、全ての企業がGoogleのような付加価値の高い広告を提供できるわけではない。企業の規模にもよるけれど、ITサービスを無料にできるほどの充分な広告収入を得るには、途方もないPVを必要とするだろう。果たして、ぽっと出のベンチャーが、ITサービスの価格を無料にして、広告収入のみを源泉として市場で戦っていけるだろうか。
顧客に委ねる
適正価格も良く分からない。無料にもできない。じゃあどうすればいいのか。
最後の手段は"顧客に委ねる"ことだ。価格を固定しない。顧客は、サービスを使用した後に、満足度に応じて適正と思われる額を支払う。
この手法の成功例はロックバンドのレディオヘッドである。
レディヘが2007年にリリースしたアルバム「In Rainbows」はネットで配信された。顧客は「In Rainbows」を無料でもダウンロードできるし、自分が適正と思う額を自由に支払うこともできた。
この案を提案したマネージャーは、ボーカルのトム・ヨークに「お前、頭おかしいんじゃねえか?」と言われたが、彼の案は大成功をおさめた。
アメリカのeコマース調査会社コムスコアの調査によれば、180万人の顧客が「In Rainbows」をダウンロードし、平均2.26ドルを支払った。"顧客に委ねる"戦略は音楽業界で話題となり、様々なメディアで取り上げられ、それが大きな宣伝になった。結果、「In Rainbows」のデジタル配信の売上は、レディへの他のアルバムの売上の合算値を上回った。
"顧客に委ねる"戦略が機能するのは、人間が人が見ていないところでも利他的に動こうとする生き物だからだ。行動経済学者のリチャード・セイラーによれば、人間は「親切には親切で、協力には協力で、敵意には敵意で、背信には背信で」報いる傾向がある。そして、人間は経済的インセンティブが無い時にも、利他的に、つまり良くみられようと行動する。例え無料でダウンロードして誰にも咎められないとしても、その好意に対して報いようとする。
価格を委ねられ、その適正な額を見極めようとする時、顧客は真剣にそのサービスの価値について考え、そしてその結果、サービス提供者との深いつながりを感じる。受けた恩には報いなければならない。支払うという行為は、経済的である前に何より社会的な行為なのだ。
筆者は近々ITサービスを立ち上げるのだが、価格を顧客に委ねてみようと考えている。コストプラス法も他社のベンチマーキングもフリーも、どれも上手くいきそうで上手くいきそうにない。そもそも、全く同じサービスを立ち上げている企業が他にないので、実験をしないことには価格が分からない。
分からなければ、顧客に委ねてみよう。リスクの高い実験になるが、まあ、ベンチャーはリスクがネギしょって歩いているような存在なので、今更である。
レディへみたいに大成功するかどうかは分からないけれど、人間の社会的な側面を信じてみよう。そして、経済学者であると同時に哲学者でもあったアダム・スミス大先生の言う"見えざる手"が、どのような価格に導いてくれるのか、その行く末を見守ってみよう。
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