暗号通貨が 『 いいね ! 』 をマネーに変える
世界最大級のビットコイン取引所であったマウントゴックスが閉鎖したのは2014年の2月。この事件を境にビットコインに対する世間の関心は急速に冷め、あれだけメディアを席巻した単語は突として姿を消した。
しかし、ビットコインの可能性が絶えたわけではない。ビットコインを扱うスタートアップは生まれ続けている。ウォレット機能・送金機能・決済機能を実装した『Circle』、固定価格でビットコインを売買できる『bitFlyer』、ビットコインATMの『Robocoin』などだ。大手投資銀行はこれらのスタートアップに多額の資金を投入している。
ビットコインをはじめとした暗号通貨には、運営者がいない。ネットワーク上の取引きが"採掘者(マイナー)"によって監視され、"採掘者(マイナー)"が取引の整合性を保証した仕事の報酬としてコインが生まれる。監視によって生成された取引データが蓄積され、コインを生む計算式に投入される材料となる。いわゆるブロックチェーンアルゴリズムは、国家にではなく、ネットワークに通貨を生み出す力を与えた。
アルゴリズムによって作られた新しい通貨に大きな可能性を見出す者がいる。その数は決して少なくはない。投資銀行が、IT企業が、起業家が暗号通貨に魅せられている。
暗号通貨が求められる理由
flic.kr photo by Roger Smith
暗号通貨の非中央集権的な性質、"反権力"といったバズワードだけが誘引剤ではない。
暗号通貨の魅力の一つは送金に手数料が発生しないことだ。クレジットカード・銀行振り込みといった手段と異なり、ネットワークによって生成された暗号通貨には管理者が存在しないため、管理に係る費用は発生しない。
暗号通貨を用いれば、ネットワークが繋がっている限り、誰とでも手数料無しに取引ができる。フランスであろうが、メキシコであろうが、スイスであろうが、決済するための障壁は無いに等しい。多くの労働者が海外で出稼ぎするフィリピンではビットコインの導入を積極的に進めている。自国の人間が出稼ぎ先の国の金融機関に手数料を支払うことは、フィリピンという国にとっての大きな損失なのである。
手数料が無くなることによって、ネット上での少額取引が恩恵を受ける。ほんのわずかな金額を送金したい時、クレジットカードや銀行振り込みといった手段の代わりに、暗号通貨によって簡単に決済できたとしたら。
例えば、SNSやブログ、動画サイトで発表しているコンテンツ製作者に対する少額の送金が出来たらどうだろうか。
大道芸人に投げ銭をするように、コンテンツ製作者に対してネット上で投げ銭をする。広告費といった間接的な報酬ではなく、ユーザーの直接的な思い、言い換えれば『いいね!』が報酬になる。
全世界のユーザーが暗号通貨のウォレツトを持っていれば、全世界のユーザーが気に入ったコンテンツに投げ銭をしてくれる、かもしれない。一人ひとり一人の金額は小さくとも、例えば100万人がアクセスしているコンテンツに1人10円を投げ銭したとしたら、1,000万円の報酬になる。
プラットフォームに依存しないマネー
flic.kr photo by Patrick Lauke
ネット上で少額取引できるプラットフォームが無いわけではない。iTunesストアでは少額のアプリを購入できる。LINEでは少額のスタンプを購入できる。ニコニコ動画では少額の投げ銭ならぬ"広告"をうつことができる。筆者がブログを書いているはてなでもユーザー同士が少額のポイントを融通しあえる。
しかし、これらのマネーはプラットフォームに依存している。はてなのポイントははてなの提供するサービスでしか使えない。人力はてなで得られたポイントを用いてセブンイレブンでコーヒーを買うことはできない。通貨としての流通範囲は限りなく小さい。
対して、暗号通貨はプラットフォームに依存しない。国家という最大級のプラットフォームにも依存しない究極のマネーである。あらゆるサービスが暗号通貨の決済手段を受入れば、暗号通貨はネットワーク世界の共通通貨になる。
ネット決済の最先端を走るPaypalはビットコイン決済機能の導入を本格的に始めた。共通通貨が流通する土台は固まりつつあるのだ。
ネット上の取引において、現実の通貨からデータへの変換、更にデータから現実の通貨への変換といった煩わしいプロセスがなくなり、一つのウォレットであらゆる決済ができるようになれば、ギターケースに小銭を投げ入れるように、ネット上で投げ銭する人が増える可能性がある。無限に行える『いいね!』に比べてその数は減るかも知れないが、世の中に発生する『いいね!』のほんの数パーセントがマネーに変われば、巨大な市場が生まれる。
人がネットでつながり、モノがネットでつながりつつあるその先に、マネーがネットでつながる社会がある。
暗号通貨を実現するための技術的な障壁が無くなりつつある今、残る障壁は、使う人の得体のしれないものに新しいものに対する"恐怖"だけだ。