誰かに話すと全てが始まる
flic.kr photo by Marc Wathieu
起業を決意した日から、寝ても覚めても自分の会社のこと、新しいサービスのことを考える日々が始まった。
勉強用のノートを一冊作り、読んだ本の内容や雑誌・新聞の記事を切り貼りし、知識と情報を詰め込む。詰め込んだ知識と情報を頭の中でこねくり回し、何度も何度も、まだ見ぬサービスを妄想する。ある日にはそのサービスが凄くうまくいきそうな気がする。が、その次の日には一転、色褪せて見える。
頭の中で浮かんだどんな素晴らしいアイデアも、声に出したり、紙に書いたりして形にすると、陳腐なものに見える。アイデアは、ウィルスのように、空気に触れるとたちどころに腐ってしまう。しかしどうやら、起業するという行為はアイデアが生まれては腐っていく様を何万回と繰り返し体験することのようだ。。
そんなことだから、精神は非常に不安定になる。アイデアが光り輝いている間は"うまくいきそうだ"という強気な自分がやってくるし、腐ってしまえば"やっぱりだめかもしれない"という弱気な自分が顔をのぞかせる。"起業しよう"という思いは存外脆く、儚い。
それでも不安定な精神をしっかりと地面に固定しておくには、自分を追い込まなければならない。不安定な自分のまわりを埋めなければならない。つまり、起業せざるを得ないように、まわりにそう思わせること、まわりに吹聴して回ることである。
筆者が一番最初に起業をすると話したのは上司であった。
半期の評価について1対1で面談をしている時だ。
評価があれやこれやという話をした後、ふと上司が、
「今のプロジェクトはともかく、これからやってみたいことはあるか」
という質問をした。
「あるにはあります」
と返す。
「どんなことだ。今の仕事の延長線上にあることか」
「いや、ちょっと違います」
「転職とか」
「それも違います。まあ、実は…」
で、ぽろっと起業を考えていることを話してしまった。これが人に話した最初であり、一線を越えた瞬間であり、全ての始まりであった。
これをきっかけに、会う人会う人に実は起業を考えていて…と、会話のまくらのように話すようになった。
そうやって人に話せば話すほど、後戻りができなくなる。会社、友人、家族。一度話をした人の目は、不安定な精神を見張ってくれる。
このブログもそうだ。【起業日記】などと実名のブログで記事を書いてはてブに、Twitterに、Facebookに流せば、一億のネット民が自分を叱咤激励してくれる、気がする。
そんな面倒くさいことを繰り返して、自分の振り子のような精神を支えている。
大それたことを考えている癖に軟弱だな、と思われるかもしれないが、案外どんな人でも"人に求められて"だとか"止むにやまれず"といった自分の意思の外にあることをよりどころに行動するのではないだろうか。
何か事を成すには環境を作ることも大事だ。
そして、こいつは何かを始める、と思わせることは、その最初の一歩なのだと思う。