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絵と数学への憧れ

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吉田武『虚数の情緒』を読んでいる。方法序説と名づけられた序章は100ページもあり、民主主義の意義から宇宙の誕生まで、およそ脈絡のない様々なテーマを著者の博覧強記の腕力を以てして一つの主題にまとめ上げている。数学に関する本であるが、数学の内容だけではなく、その方法論であったり、学ぶ意味であったり、著作の副題『中学生からの全方位独学法』の名に恥じぬ、独学を志す者に対する著者の壮大且つ暑苦しい思いが込められている。著者の独特の語り口はテンポが良く、次から次へとページをめくりたくなる。1,000ページの分厚さが苦にならない。快著である。


虚数の情緒―中学生からの全方位独学法


著者は昔っから数学が苦手だ。学生の頃からの苦手科目で、高校まで、数学のテストで良い点数をとれた記憶がない。中学時代の二次方程式だったか三角関数だったかの単元で、ふとした瞬間に授業についていけなくなり、"わからない負債"をそのままだらだらと引きずってしまった。本当は、単元が変われば全てリセットして、気持ちを新たに頑張ればよかったと、今になって思う。


数学に対する苦手意識が少しだけ和らいだのは大学に入ってからだった。アメリカの大学に在籍中、数学に弱いアメ人に囲まれたせいで相対的に自分の地位が高くなり、「数学に強いアジア人」扱いされてしまった。気を良くしたので、必死になって統計学やコンピューターサイエンスといった授業を受けていたし、分りもしないのに『ゲーデル、エッシャー、バッハ』 なんかを読んでいた。このころから、数学に対して一種の憧れのようなものを抱くようになった。


得意ではないけれど、もっと知りたい、分かるようになりたいという思いを喚起するのはいつも数学だ。数式という強力なツールを用いて見えざるモノを暴き、新たに何かを発見をする。黒板やノートに向かって数式を殴り書き、ウンウンとうなりながら、自分の脳を徹底的に苛め抜き、答えにたどり着く。そのストイックな態度が単純にカッコいい。


数式という知識を持たぬ者が眺めれば毛ほども介せぬ不思議な言語を操る様が、筆者には魔法使いのように見える。


※※※


同じように、魔法使いのようだと思うのが、絵を描く人である。鉛筆一本で、何も書かれていない白い紙に、人が現れ、建物が現れ、情景が、動きが、感情が描かれる。無から有を生み出すその様は魔法だ。


宮崎駿が2007年にNHKのプロフェッショナルに出演した時に、自分の創作方法について、変わった表現をしていた。曰く、『脳みそに釣り糸を垂らす』ようだと。外を散歩したり、音楽を聴いたり、子供と触れ合ったり、旅行に出かけたり。色んな遠回りをしたあと、脳みそに釣り糸を垂らす。その釣り糸に引っ掛かったのは、波に乗りながら仁王立ちをして遠くを睨み付ける『崖の上のポニョ』のイメージボード。そのたった一枚のイメージボードという"種"からアイデアや思想が生まれ、人が集まり、お金が集まり、映画がつくられていく。無から有が生み出されいく様は圧巻だった。


数学は、目では見えないところに数式で表される真実を見出し、次から次へと数字を重ねていくプロセス。絵は、目では見えないところにイメージで表される創作の種を見出し、次から次へと線を重ねていくプロセス。一枚の何もない紙が埋まっていく様が、筆者には重なって見える。


絵と数学への憧れ。鉛筆と数式を操って、魔法のように紙を埋めていくことへの憧れ。大学を卒業して随分時間は経ったけれど、気が付いた時には数学と絵の教本を眺めている。


これらの知識がどんなところに役に立つのか、仕事に役に立つようになるのかと言われれば、どうだろうか。数学について言えば、企業の需要予測モデルを作る時に最小二乗法を使ったことがあるし、絵について言えば、パワーポイント資料を作る時にスライドをデザインするくらいだろうか。どちらにしても、普段の勉強が大きく役立つ程でもなかった。


とはいえ、いつ何時、役に立つ日が来るかは誰にも分らない。今得た知識や技術が、遠い未来の思わぬ機会の"点"に結びつくことだってある。 そもそも、役に立つかどうかという評価軸だけで本を読むのもつまらん話だ。


そんなことをうだうだ思いながら、分厚い本をめくり、オイラーやガウスといった魔法使いに思いはせる、日曜日の夜。