会社って、結局"理念"でしか動かない
flic.kr photo by Nestor Galina
会社って、大きな会社でも、小さな会社でも、従業員がたくさん働いていて、そのうちの何パーセントかを除けば、皆が一生懸命働いている。
大きな会社の会社案内を見て、従業員数が何千人・何万人と書いてあると、ちょっと規模の想像がつかない。でも、組織図を見てみると、それぞれの階層に人が配置されていて、階層の末端のセルには数人ぐらいの従業員しかいない。
このセルがそれぞれが有機的に働き、情報やモノや金を動かすことで、会社が存続する。
セル同士は神経でつながっていて、どっからともなく電流が流れてくると、その命令に従って動く。
研究開発部もマーケティング部も営業部も製造部もシステム部も経理部も、日々の業務を形作るのはどこからか流れてくる電流だ。
この電流の正体は何か。
それは会社にいる誰かの"理念"だ。
"理念"とはあるべき姿に対する意思。『何かをしたい』、『変えたい』、『続けたい』、『止めたい』という能動的な思考。
会社って、色んな人が働いているけれど、その巨体を動かすのは結局、誰かの"理念"だ。
ソフトバンクという会社は、孫正義という人の強烈な理念によって動いている。他社を買収して新しい事業を買収しようという時に、孫正義の理念が、彼のまわりの優秀な社員に伝わり、それが更に末端にまで伝わることで、形になっていく。
会社という巨体は誰かの"理念"によって、右を向いたり、左を向いたり、沈んだり、浮き上がったりする。
二つ以上の同じくらい力を伴った"理念"がぶつかれば、社内で争いが起きる。争いを経て、生き残った"理念"が、神経をたどり、それぞれのセルに行き渡る。
会社って、中に入ってしまうと、日々の業務や規定や人間関係といった細かいところしか目につかないけれど、その細かいものを形作る大本は、誰かの理念だ。『こうあるべき』という誰かの意思だ。
コンサルタントがいくら偉そうに事実と論理を駆使して会社に提案しても、それがそのまま会社の隅々に行き渡るわけではない。その提案は理念を持った人に選択されなければならない。誰かの意思がなくてはならない。
一見無機質な会社のそういう"人間臭い"ところに焦点を当ててみると、会社っておもしろいな、と思う。
と同時に、そんな誰かの理念が何千人・何万人の生活を形づくっているのだから、会社って恐ろしいな、とも思う。