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契約書がビジネスを加速する

Contractflic.kr


企業が取引をする際に取り交わされる契約書。"契約自由の原則"により、当事者が合意している限りにおいて契約内容は自由に取り決めされ、取り決めされた内容は民法・会社法に優先される。契約書には商品の数量や納期、引き渡し場所等が記載され、当事者がこれらの取引内容に合意した旨の証憑として取り扱われる。


契約書は取引時にトラブルが発生し紛争にまで発展した折に効力を発揮する。契約書が存在する限り、当事者がどういった内容で合意形成していたかを後に立証できる。言った言わんの水かけ論"を回避し、書面に記載された内容に沿って権利・義務を円滑に処理することができる。


とはいえ、日本の商習慣では契約書が取り交わされないままに取引が完了するケースは多い。 紙面には残さない口頭での阿吽の呼吸(または空気の読みあいとも言う)だけで財・サービスが企業間を行き交う。


契約書が無い取引は往々にしてトラブルを引き起こす。コンテンツ産業でのトラブルを例にとると、プレイステーションプログラム事件と呼ばれる訴訟があった。当該案件では、プログラマーの原告がソニーを相手取り、業務委託によって制作したプログラムの著作権を主張し損害賠償を求めた。プログラマーの請求は棄却されたようだが、契約書の不備はかようなトラブルに発展する可能性がある。

契約書が敬遠される理由


ではなぜ、リスク大きいにも関わらず、日本の商習慣で契約書が敬遠されるのか。弁護士の内田篤は当事者の"もう少し様子を見たい"という要求に原因があるという。

日本的な「契約書の遅れ」をめぐる事情の中で、「契約の細部が詰まっていないから」というものは少なくない。…どうも、契約書にしてしまうと権利義務関係が確定してしまって、「万が一の事態」にも責任を逃れられないから、というものがあるように思える。


出典: 内藤篤『エンターテイメント契約法』P175


筆者のお客さんの中にも、契約を締結しないまま、予測を基に"商品を出荷している企業があった。その理由は値引きの交渉にあるという。値引きに係る交渉は時間を要するため後に回し、とりあえず商品を送ってしまったのち、じっくりと腰を据えて値引きを含めた金額の交渉にかかるという。


リスクがある取引きは当事者間の信頼関係によって成り立つ。 長年取引してきた密な関係により、対価が支払われない、品質が保証されない、そもそも納品されないといったリスクが見えにくくなる。「長い付き合いなんだから野暮なこというなよ」という内輪の理屈が跋扈する。

契約書文化は根付くのか


このような緩い商習慣が揺らぐのは、外部の力が介入してきた時である。上場企業であれば、"内部統制"の名目で、売上を計上する根拠(言い換えれば、財務諸表の売上金額を担保する根拠)を明確にすべく、契約書の締結が必須となる。


コンテンツ業界の大半を占める上場していない企業にとっては、プロジェクトファイナンス・銀行借り入れといった資金調達の際に、契約書が問題になる。資金を提供するにあたっては、その担保となる著作物が契約によって出資先企業に帰属するか、よって有事にはその著作権を担保として確保できるかが気になるだろう。


業界の風通しが良くなれば、契約書により取引きが明文化されるのが自然となる。ルールを熟知した内輪でのみ取引するのであれば契約書は不要だが、資金調達といったケースで外部のプレイヤーが参加する際は、曖昧さは美徳ではなくリスクとしか見なされない。


契約書が取り交わされば、ビジネスがキビキビと行われるようになる。意思決定が速くなり、前例のない取引が行いやすくなる。それが日本の商習慣を壊すことになったとしても、メリットのほうが大きいと筆者は考える。


制作から公開、二次利用まで。いかに、阿吽の呼吸をやめて、契約書という遡及可能な書式を用いてビジネスを実施できるようになるか。


いち早く契約書の文化に移行した企業が、外部からの力(資金)を得て、大きく成長できるに違いない。


※3/22 追記: コメントのご指摘を受けて、引用した内藤篤先生のお名前を直しました。大変失礼致しました。