キャラクターがひとりでに動きだすために必要な唯一つの要素は"弱さ"である
埴谷雄高は長編小説『死霊』を執筆する際、彼が生み出したキャラクターたちが頭の中でしゃべり続けるため、それを書き写す事で原稿を書いていたという。"自同律の不快"という観念に囚われた根暗な主人公に、不思議な奇声をあげる饒舌な革命家といった、非凡なキャラクターたちである。埴谷の頭の中はさぞ混沌としていたことであろう。
物語を創作する際に最も重要な作業はキャラクターを創りだすことであり、そのキャラクターに魂を宿らせることである。想像されたキャラクターに魂が宿ることで、ひとりでに創作者の頭の中で会話を繰り広げ、紙面で踊りだし、架空の世界で事件を起こす。魅力ある物語を紡ぐのは、創作者ではなく、魂が宿ったキャラクターである。
魂を宿らせる行為は執筆者の絶え間ない想像(並びに妄想)によって成される。筆者が小説を書く時に最初にやることは、キャラクターの細かな設定をノートに書くことだ。年齢、生まれた場所、家庭環境、特殊な能力、etc...。現実の世界で、自分が今まで出会った人達の細かな特徴を抽出し、それらの特徴を錬金術のごとく掛け合わせ、架空のキャラクターを組み上げる。
しかし、幾多の特徴が錬金された果てに、どうしようもなく紋切型のキャラクターが生れ落ちることが、往々にしてある。どこかで見た平凡なキャラクター。特徴全てが鼻につき、耳目を集める魅力の欠片もない。このような紋切型のキャラクターが魅力的な物語を紡ぐなど、到底できない。
紋切型に陥らないため、創作者に何ができるか。筆者が必ず行うことは、創造するキャラクターに弱さを与えることだ。
弱さとは、キャラクターが苦手なものであり、弱みであり、トラウマである。弱さがキャラクターに深みを与える。肉体を授け、影をつけ、魂を宿らせる。
創作物で最も魅力的なキャラクターの一人、シャーロック・ホームズがただの推理の天才であったならば、これほどまでに熱狂的なファンを産み出してはいないだろう。天才的な頭脳を持ちながらも、突拍子が無く、人付き合いが苦手で、女性が嫌いで、薬物におぼれているといった人間的な弱さが、ホームズに魂を与えている。複雑で、手に負えないホームズの弱さが幾多のシャーロキアンを魅了する。
人の弱さは葛藤を産む。そして、葛藤はドラマを作る。このドラマはしばしば物語の核となる。
ピクサースタジオが掲げる"ストーリーライティングの22のルール"の一番最初のルールは"成功ではなく挑戦にフォーカスする"だ。キャラクターは何かに挑戦する。それは弱さによって越えられなかった壁である。壁を乗り越えるための葛藤が、キャラクターに試練を与え、キャラクターを成長させる。その成長の過程は壮大なドラマであり、壮大な物語である。
例えば、一つの物語を作ってみよう。主人公は女の弁護士だ。彼女は美人で頭脳明晰。クライアントからの人望も厚い。だが離婚歴がある。よりにもよって、離婚した元夫は地方裁判所の裁判官である。法廷に赴くたびに彼女は元夫と顔をはちあわすことになる。
どうだろうか。彼女の弱さ(離婚歴)からドラマが生まれないだろうか。口頭弁論が得意にも関わらず、なんとか調停で終わらせようとする彼女の涙ぐましい努力が想像できないだろうか。そして、それでも法廷で元夫と顔を合わせた時のシーンが想像できないだろうか。
弱さはキャラクターに魂を与えて、より人間に近づける。そして、魂が宿り、オートマトンと化したキャラクターは創造者の手を離れ、ひとりでに動きだす。
キャラクターたちは、創作者の思念から生まれ、魂が宿ったのち、創作者の想像世界を離脱する。そして、現実世界を浮遊する。これらのキャラクターは創造者が生み出した死霊とも呼べるのかもしれない。