『マーケット感覚を身につけよう』 "市場"に飛び込んで"価値"を発見するために
就職活動で使われる即戦力という言葉。現場ですぐに活躍できる人材を求める企業が使うキャッチ―な言葉であったが、2年前に世界一の即戦力を名乗る男が出現したことで、使うに憚る言葉になってしまった。が、企業にとっては、入社してすぐに、バリバリ売上を上げて、新しい研究成果を発表して、連結財務諸表を作成できる人材が入社してくれるに越したことはない。即戦力な人材は企業にとって魅力的である。
では、即戦力とはいったいどんな人材なのか。どんなスキルや知識があれば即戦力と認められるのか。営業部門に配属されれば交渉力やプレゼンテーション力が求められるし、研究開発部門に配属されれば分野に特化した化学や物理の知識が求められる。学生時代から業種や部門を絞って勉強していない限り、就活時にこういった尖ったスキルや知識を保持していることはないだろう。結局、企業に勤めるにあたって共通して求められるもの、すなわち"コミュニケーション力"・"行動力"・"英語力"といった汎用的で当たり障りの無いスキルや知識が就活では評価される。
イメージしてほしい。
あなたは即戦力な能力が評価されて、念願の第一志望の企業から内定をもらい、晴れて社会人デビューした。先輩に指導・鞭撻を仰ぎながら、"コミュニケーション能力"や"行動力"を駆使して、飲み会の予約や定例会議の招集依頼メールを出し続け、小遣い稼ぎの残業に精を出していると、あっという間に3年くらいが経過している。会社のことがわかってきた。仕事のことがわかってきた。でも、何かが足りない。もっとやりがいを感じられる仕事に取り組みたい。この会社ではそんな自分の夢が実現できない。手っ取り早いのは転職だ!
ここであなたは戸惑うのだ。自分には一体どんな能力があるのだろうか、と。"コミュニケーション能力"はある。"行動力"はある。3年過ごした企業で培った飲み会で気難しい上司に媚びへつらうスキルや、係長がAccessで作ったネームタグ発行システムの知識はある。しかし、あまりに汎用的か、あまりに特化したこれらの能力が、果たして他の企業で求められているのだろうか。3年間を企業で過ごしてきたけれど、どれだけ"労働市場"で評価される人材になったのだろうか。
そんな不安なあなたに『マーケット感覚を身につけよう』の著者ちきりんは言う。「特別な能力なんていらない。ごく普通の人でも"市場"に求められる人材になれる。そのために必要なのは"価値"を発見する能力だ」と。
市場化は加速する
ちきりんは社会はどんどん"市場化"していると言う。就活にも婚活にも全て"市場"の原理、つまり需要と供給の力学が適用されるようになった。自分の履歴書に魅力が無ければ、"労働市場"ではエントリーシートが通らず、"婚活市場"では結婚相手を探せない。インターネットの普及により、個人や企業がWebの向こう側にいる多数の潜在需要者にアプローチできるようになったため、"市場化"の波があらゆる業種のあらゆる取引に押し寄せてきている。
"市場"が求める基準は単純だ。それは、モノ・サービスに"価値"があるかどうかである。"価値"とは顧客がモノ・サービスを求める根源的な理由であり、その"価値"が付加されたモノ・サービスが"市場"で取引される。例えば、車という商品には"楽に移動できる価値"・"荷物を運搬できる価値"・"女の子をデートに誘う価値"がある。顧客はこれらの異なる"価値"を求めて、ディーラーに足を運ぶのだ。
"市場化"が加速する社会で生き残るためには、"市場"が需要と供給をマッチングさせる基準となる"価値"を見出す力が必要となる。この"価値"を見出す力が本のタイトルとなっているマーケット感覚に他ならない。
本書が勧めるマーケット感覚……それは、市場と向き合う経験から得られる、市場に対する嗅覚や根源的な理解力です。そしてその嗅覚の中心が、本書で説明する「価値を見極める力」なのです。
(P106)
ちきりんは、マーケット感覚には特別な能力は必要ないという。マーケット感覚はごく普通の人が身につけられるものだ。なぜなら、"価値"とはごく普通の人の身近にありふれているものだからである。
例えば、北海道の砂川市にいわた書店という本屋がある。この本屋は一万円で顧客の好みに合った本を選んで送ってくれるサービスを始めた。このサービスに注文が殺到した。多くの人にとって、好みにあった本を選んでくれるというサービスは一万円の価値がある魅力的なものだった。
このサービスを提供するために必要なのは本を選ぶ選択眼である。これは特別な能力ではない。本が好きな人がその趣味の延長線上で提供可能な"価値"が"市場"によって評価されたのだ。
まずはやってみよう
社会が急速に"市場化"し、新たな"価値"に重きを置いたサービスが次々と生まれてきている。その"価値"を見出す"マーケット感覚"とは、具体的には、なぜ人はモノ・サービスを欲するのかという根源的な問いについて仮説を立てる能力だ。
仮説を立てるためには、まず、モノ・サービスを使用する具体的な顧客をイメージする。高齢者がタブレット端末を購入するとしよう。彼・彼女はどんな用途でタブレット端末を使用するのか。庭で育てている盆栽の写真を撮るのか。孫とSkypeで電話をするのか。新聞を読むのか。囲碁をするのか。具体的な用途をイメージしていくと、顧客が求める"価値"が自ずと見えてくる。
イメージから導かれるのはあくまで仮説である。仮説には検証が必要だ。できるだけ早いサイクルでこの仮説の確からしさを検証する。まずはやってみて、そしてイケているモノ・サービスか否かを判断する。市場化した社会では、厳密な意思決定に基づき行動するのではなく、ある程度の見込がたったら、最低限の資源で"価値"を提供するモノ・サービスをつくってしまうことが必要だとちきんりんはいう。その小さなサイクルを回すことによって、何が需要にマッチして何がマッチしなかったか、何が失敗して何が成功するのかが見えてくる。
小さなサイクルを繰り返し、需要と供給をシミュレーションする。マーケット感覚はそのたびに鍛えられ、新たな"価値"を見出す能力が身につく。「マーケット感覚を身につけよう」という本は、その実践方法と、ちきりん自身がシミュレーションした結果発見したたくさんの"価値"がサンプルとして提示されている。
"市場"に飛び込んで"価値"を発見する能力。これは大きな企業や影響力を持った有名人だけに求められる能力ではない。これはごく普通の人にあらゆる場面で求められる能力である。マーケット感覚が"コミュニケーション力"や"英語力"と同じ水準で求められる社会はすでに到来しているのだ。