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ゲーム業界をマーケティング視点で読み解く

ベイマックスに見るSNS時代の広告のあるべき姿

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映画『ソーシャル・ネットワーク』のトレーラーが好きで、何度も何度もYoutubeで再生していた。主人公マークザッカ―バーグがFacebookの元となったサービスを立ち上げ、瞬く間に巨大サービスになり、大事な仲間と仲違いをし、それでも孤独に経営者として生きていくドラマが短い時間に凝縮された、完成度の高いトレーラーである。



映画『ソーシャル・ネットワーク』予告編 - YouTube


何よりBGMが良い。Scala & Kolacny Brothersというベルギーの聖歌隊がカバーしたRadioheadのCreep。さえない男が女の子を思う歌で、彼女は天使のようだが俺は何で気持ち悪いんだ、と歌う。この歌詞が主人公の機微な心の輪郭をなぞるようで、曲を聴くだけで物語の中へと一気に引き込まれる。振られた女の子にもう一度振り向いてもらいたい一心で核爆弾のようなサービスを作り上げた男の子の物語。


Scala & Kolacny BrothersのCreepは劇中では使われていない。使われているのはトレーラーの中だけだ。でも、この曲はコンテンツの本質を正しく、最適な形で消費者に伝えているように思える。

商品としてのコンテンツ


コンテンツは間違いなく商品となりうる。むろん価格がつけられぬ芸術というものがあるのかもしれないが、およそコンテンツはすべて商品となりうる。


商品ということは、誰かに消費してもらわなければならない。お金を出してもらわなければならない。知ってもらわなければならない。


コンテンツは、テレビで、街頭のポスターで、本屋のPOPで、Facebookの友達の記事で、宣伝される。商品であるコンテンツは否応なく市場原理に適合するため、他のコンテンツより抜きんでるよう、宣伝される。


しかし、この宣伝が時に過剰になることがある。意匠が本質を覆うようにして、ありもしないコンテンツの諸相を見せることがある。


70年代まで映画は興行でした。見世物的宣伝まで含めて娯楽であり作品でした。淀川さんをはじめ宣伝マンたちは優れた評論家でもありました。しかし80年代に広告屋が映画の宣伝をするようになりました。彼らにとって映画は商品でしかないのです。


見世物は「すごいバケモノだよ」と客を引いてしょぼいものを見せる「誇大」広告ですが、肉を花と偽って売るのは詐欺の領域です。少なくとも「正攻法」の宣伝ではないと思いますよ。


引用元: 町山智浩@TomoMachiのツイート


コンテンツを誰かに伝えたいという制作者の動機と、コンテンツによりマネーを生みたいという動機がすれ違い、コンテンツから乖離した宣伝が作られる。


マーベル原作の『Big Hero6』を原作とした映画『ベイマックス』の日本版トレーラーが、SF・アクションではなく、ロボットと人間のキズナを協調したもので、米国版トレーラーと大きく異なるというので、話題になった。確かに、日本版のトレーラーは、愛と感動、お涙頂戴な雰囲気を漂わせる。ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ制作とあり、『アナと雪の女王』からスライドした女性客を取り込もうとしているのだろう。



町山さんの意見を借りると、テンションアゲアゲになるアクション満載の映画が、本質と異なる部分がピックアップされることで、本来届いてほしい消費者に届かない。"コンテンツのどれが本質でどれが本質でないか"という問いは作者の気持ちを考えましょう並みに難しい問いではあるが、例えば、ドラゴンボールの映画を作ったとして、悟空とチチの恋愛模様がピックアップされたら、それはもう詐欺の領域といって間違いないだろう。そのコンテンツが好きであれば、候補がいくつもある中で、これは本質ではない、という候補はすぐにわかるはずだ。

SNS時代の広告


ベイマックスの件では、日本版のトレーラーがアメリカ版と違いすぎるというのがネットで拡散され、瞬く間にベイマックスは、愛と感動よりむしろ、熱さが肝となる映画だと知れ渡ることになった。コンテンツ自体の質の高さから、半ば炎上商法的な要素はあれど、話題の波に乗って一気にヒットした。



SNS時代の、ありとあらゆる媒体を通じた口コミは、生半可な意匠を許さない。ネット空間は、(良くも悪くも)本音が飛び交い、広告という意匠から本質へと向かわせる見えざる手があるように思える。生半可な意匠は、ネット空間の本音によって身ぐるみをはがされ、取調室の明かりの下へと立たされる。そして、ダークナイトのジョーカーさんのように机に顔を叩き付けられる。


YoutubeチャンネルのScreen Junkiesが提供しているHonest Trailersというシリーズがある。流行っている・流行った映画の、良いところも悪いところも含めて、映画の本当のところはこうです、という(あくまでスタッフが思う)本質を取り上げ、それをおもしろおかしく紹介する動画だ。アナと雪の女王の紹介では"3年ぶりのディズニーのミュージカル映画で、18年ぶりの良いディズニーのミュージカル映画"と、トレーラーのそれっぽい声で紹介する。



SNS時代の広告は、本質へと向かわせる見えざる手の誘う方へ向かう広告でなければならない。本質がなにか。消費者が知りたいことはなにであるか。少しでも本質を外れれば、Honest Trailersをはじめとするネット民の本音により炎上する。


すべり芸よろしく、叩かれて伸びる炎上商法を良しとしないのであれば、広告の歩む道はいばらの道である。