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ピクサーが『トイ・ストーリー』をつくるまで

ピクサー 早すぎた天才たちの大逆転劇 (ハヤカワ文庫NF)


ピクサーは凄い。本当に凄い。毎回毎回、オリジナルで品質の高い長編アニメを作っていることはもちろんだが、何より、世界で初めて3DCGの長編アニメを作り上げたことが凄い。1995年、パソコンがチャチャーンの音と共にが立ち上がっていた時代に、3Dだけで一本の映画を作るというのはトンデモナイ博打だった。


そんなピクサーが『トイ・ストーリー』をつくるまでの歴史をまとめてみた。元ネタは『ピクサー 早すぎた天才たちの大逆転劇』。


ピクサーの創始者の一人、エド・キャットムルはユタ大学でCGの研究をしていた。自分には絵の才能が無い、でもアニメーターになりたい、CGを使えば中割りとかなくてもアニメを作れるんじゃねぇの?、よっしゃCGやろう、というのが彼がCG研究者を志した動機である。ユタ大学時代の主な研究成果は、3Dの描写を最適化するための『Zバッファ』とCGの物体に質感を与える『テクスチャ・マッピング』。キャットムルはCGの基礎を作り上げた化け物級の研究者だった。


しかし、キャットムルの研究は早すぎた。エンターテイメント産業も学術界もCGの価値が良く分かっていなかった。当時、どんな企業も自前のコンピューターで3Dグラフィックをレンダリングするなんて、考えてもいなかった。そんなオーバーエジュケーティッドなキャットムルを拾ったのはニューヨーク工科大学(NYIT)の学長、アレグザンダー・シェアーだ。シェアーはNYITのCG研究所の所長としてキャットムルを雇った。このCG研究所に後のピクサーを支えるスタッフ達が集まってくる。


ピクサーの歴史は変態且つ天才なパトロンとの歴史である。ジョブズしかり、ルーカスしかり、そしてシェアーしかり。シェアーは金持ちでビジョナリーで変な人だった。ある日、CG研究所のスタッフが、コンピューターで作ったグラフィックをピクセル単位で記憶するフレーム・バッファが2台ほしいとシェアーにお願いした。当時、グラフィックス・ハードウェアはアホみたいに高かった。にも拘わらず、シェアーは5台も買って来た。マシンは多い越したことはない、若人よ、これで素晴らしい研究をしたまえ、という風に。シェアーの話は支離滅裂で、スタッフは彼が何を言っているのかさっぱり分からなかった。彼の唯一つの美点は、CGの可能性を信じていたことだ。


CG研究所には、セルオートマトンの専門家でもう一人のピクサー創始者であるアルヴィ・レイ・スミスが、グラフィックデザイナーのラルフ・グッゲンハイムが、そして後にCG研究で多大な成果を残す様々なスタッフがやってきた。オフィスにはいつも、ピンク・フロイド、クリーム、ボブ・ディランの音楽が流れる、ヒッピー文化ばりばりの環境だった。スタッフは昼夜の区別なく働いた。


CG研究所は技術オタクにとって素晴らしい環境だった。フレーム・バッファは1台当たりで256色の色彩を表現できたが、CG研究所はそれを三台を組み合わせて使っていたため、256色の三乗、つまり1600万色の色彩を表現することができた。それだけ高価な機械を贅沢に使っていたの研究所は他にはなかった。ジャギーに対処するアンチエイリアスの研究も、CG研究所が持つこれらのマシンによって発展した。


CG研究所のスタッフは技術オタクであると同時に、アニメ信者だった。CGを駆使して素晴らしいアニメを作りたい、そんな夢をかなえるため、CG研究所のスタッフがパトロンであるシェアーを監督に据えて、一本のアニメ映画をつくった。『チューバのタビー』というタイトルだ。これがひどい出来だった。技術オタクたちには、アニメの中割りを自動化する素晴らしいプログラムをつくれても、素晴らしいキャラクターを生み出し、素晴らしいストーリーを紡ぐ技術は無かった。何より、パトロンであるシェアーが映画製作を指揮できるような才能ある人間ではなかった。シェアーはウォルト・ディズニーではなかった。


キャットムル達は、アニメ映画をつくるという夢をかなえるために、映画製作を深く知っている他のパトロンを探すことにした。そして見つけたのが、ルーカスフィルムだ。スター・ウォーズ第一作『新たなる希望』の大ヒットで一躍金持ちになったルーカスフィルムは、コンピューター研究所を新設し、そこにフィルム編集、音響、合成の作業を担わせようとしていた。ルーカスフィルムからのオファーを受け、CG研究スタッフ達は次々とルーカスフィルムに転職した。シェアーを裏切ることになったが、夢のために必要な犠牲だった。


とはいえ、これも幸福な到着点ではなかった。ルーカスはCGに興味が無かった。実際、スター・ウォーズ第二作『帝国の逆襲』ではCGをほとんど使わなかった。キャットムル達はルーカスに対して自分たちの実力、CGを使って映画をつくる実力を見せつける必要があった。舞い込んだのは『スター・トレックII/カーンの逆襲』のあるシークエンスをつくる仕事だ。


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依頼されたのは、月のような惑星にレーザー(作中でジェネシス装置と呼ばれる)が撃ち込まれると、惑星全体に爆発が起こり、山が隆起し、大気が生まれ、一瞬で地球のような豊かな惑星になるという、60秒程度のシークエンスだった。コンピューター研究所のスタッフたちが技術を総動員し、美術を練り上げたシークエンスは、観客にも、関係者にも、ルーカスにも絶賛された。


ピクサーの映画製作への道は、短いシークエンスや短編の映画を作り、その出来を認めてもらい、長編映画をつくるための資金を得るというものだ。最先端の技術を使い、最高の物語をつくり、それを認めさせることで、資金の出し手が見つかると信じていた。


ルーカスフィルムに移ってまもなく、キャットムル達は若いアニメーターを拾い上げる。ジョン・ラセターである。


ラセターはディズニーでアニメーターとして働いていた。が、彼がいたころのディズニーは居心地の悪い場所だった。ヒット作に恵まれず、社内では派閥争い。ラセターの野心的な企画は社長に却下された。そして彼はディズニーを首になった。


ラセターはただ素晴らしいアニメを作りたかった。そして、そのためにはCGが必要であると確信していた。彼は『トロン』を観て、CGの表現に心を奪われていた。


ラセターはキャットムル達と意気投合し、ルーカスフィルムで働くことになった。技術オタクたちが苦手なアニメの表現手法や物語作成を担う貴重な人材として。


コンピューター研究所は、ラセターを中核に据えて、一本の短編アニメーションを製作した。『アンドレとウォーリーB.の冒険』である。


『アンドレとウォーリーB.の冒険』では、CGを使った素晴らしい背景が表現され、キャラクターが生き生きと描かれていた、当時としては。この作品が上映された国際会議シーグラフの観客は絶賛したが、ルーカスは全く気に入らなかった。作品の出来をもって、ルーカスはコンピューター研究所がアニメを製作するなんてありえないと確信してしまった。


ルーカスがコンピューター研究所に与えた役割はフィルム編集、音響、合成、そしてそのためのマシンを開発すること。ルーカスの要望をもとにコンピューター研究所は特殊映像効果を付与したり、様々な編集を施すためのハイスペックなマシンを作り上げた。このマシンは、ピクサー・イメージ・コンピューター(PIC)と命名された。ピクサーという名前はこの時に生まれた。


そもそもCGに興味の無かったルーカスは、PICの技術もろとも、コンピューター研究所を分離させ、売却しようと考えていた。が、なかなか買い手は見つからなかった。PICを商品化して収益を上げるというのがコンピューター研究所の企業価値だったが、PICは市場に全くマッチしていなかった。個人がAdobeソフトを使ってCG作品を作るなんて時代ではなかった。PICを量産して販売しても、そんなハイスペックマシンをあやつってCGを作り出せる企業など、そうそうなかった。


そんなコンピューター研究所を救ったのがスティーブ・ジョブズだ。ジョブズは500万ドルでルーカスフィルからコンピューター研究所の技術と人材を買い上げ、その全てを新しく設立した会社に移した。そして、会社をPICの名前をもとにピクサーと名付けた。


ジョブズはPICに大きな未来を感じていた。PICを量産して販売し、あらゆる個人をCGクリエイターにする、という壮大なビジョンがジョブズを突き動かしていた。そもそもジョブズをコンピューター開発に突き動かしてきたのも、コンピューターというとてつもない力を秘めたツールを一般のユーザーに安価で提供するという、エンパワーメントの思想だった。


ジョブズは、ルーカスと同じく、CGを使ったアニメには全く興味が無かった。とにかく、このハイスペックなグラフィックハードウェアを売りまくれ、それがジョブズの思いだった。結局、『トイ・ストーリー』が完成する直前まで、ジョブズはピクサーがアニメ製作に携わることに難色を示し続けた。


パトロンであるジョブズにピクサーへの資金拠出を納得させるため、キャットムル達はまたも奮闘する。前述のとおり、素晴らしいアニメ作品をつくればジョブズも認めてくれるはずだった。この時期につくったのが『ルクソー―Jr.』、ピクサーの代名詞ともいえる、あのランプのキャラクターが登場する短編である。『ルクソ―Jr.』は『アンドレとウォーリーB.の冒険』より随分良かった。"CGにしては"、"実写みたい"といった前置きは必要なかった。CG表現も、物語も『アンドレとウォーリーB.の冒険』とくらべものにならないほど洗練されており、実写映画に匹敵する表現を実現していた。


無論、アニメ製作は金にはならない。ピクサーは他に金を儲けなければならない。ハードウェアを販売する傍ら、テレビコマーシャルの製作を受注し更に、ディズニーとも契約を交わした。ピクサーは、ディズニー作品のコマの色付けなどをデジタル処理で行い、更に様々な特殊効果を施す作業を請け負った。マルチプレーンショットなど、手で行うには余りにも膨大な作業も、CGを用いることで、効率良く作り上げた。


アニメ製作も継続した。一輪車が主人公の『レッズ・ドリーム』をつくり、更にアカデミー賞を受賞することになるブリキのおもちゃが主人公の『ティン・トイ』をつくった。この『ティン・トイ』は、トイとつくように、『トイ・ストーリー』の元ネタである。


色々な仕事を請け負っているとはいえ、ピクサーは毎年赤字を計上していた。とにかく、メイン事業のハードウェア事業が芳しくない。市場は高性能なグラフィックマシンなど求めていなかった。


赤字が続いたことで、ジョブズはピクサーへの資金注入を渋った。その時に経営陣に出した条件が、従業員の持ち株を全て引き取り、従業員を大量に解雇するというものだ。その中には、キャットムルと共にCG研究所時代から部隊を支えてきたスミスも含まれていた。


スミスとジョブズの離別は有名だ。二人は普段から仲が悪かったのだが、ある会議でお互いが爆発してしまった。スミスが言葉で喧嘩を売り、ジョブズはそれに対して人格攻撃で応酬。ぶちぎれたスミスが、ジョブズ愛用のホワイトボードに何かを書いてしまった。そのホワイトボードはジョブズ以外は使用してはならないという暗黙の了解があったにも関わらずだ。これを機にジョブズはスミスを解雇した。ピクサーを離れた後、CG研究所時代からキャットムルと二人三脚で歩んで来たスミスは、ピクサーの歴史から抹消された。ピクサーのWebページにも彼の名前は一切出てこない。


そんな不信感を募らせるジョブズを口説き落とす最後の手段が『トイ・ストーリー』だった。ピクサーはついに、デジタル処理の受注先であるディズニーと長編アニメの資金提供の契約を交わした。全編3Dの超実験的な映画製作の契約である。この契約は不平等条約もいいところで、ディズニーが自己の裁量でいつでも製作を打ち切ることができ、さらに打ち切られた場合にピクサーが労働の対価として受け取れるのは三十五万ドルの放棄費用とかかった経費だけだった。それでも、念願の映画製作にピクサーのスタッフは喜んだ。


『トイ・ストーリー』の最初の主人公は『ティン・トイ』に出てきたブリキのおもちゃだった。そして、企画は幾度となく修正される。バディムービーにするためにもう一人の主人公が追加され、ブリキのおもちゃでは古臭いので、カウボーイの人形に差しかえられ、キャラクター達の容姿も性格も、何度も何度も再考された。監督を任されたラセターは、1から脚本を学ぶため、三日間のスクールにも通った。


とにかく、ピクサーは第一作に妥協をしなかった。持てる技術の全てを使い、素晴らしい脚本を仕上げ、よりリアルな3DCGを追及した。ライティングにも、カメラワークにも、無機物に命を与えるアニメ表現にも、全ての要素に全力を注いだ。


『トイ・ストーリー』の成功を信じていなかったのはジョブズただ一人だった。ジョブズは、キャットムルやラセターが死にもの狂いで『トイ・ストーリー』を作っている横で、ピクサーを売り飛ばす算段をしていた。その中にはジョブズのライバル、マイクロソフトも含まれていた。


が、ジョブズは仕上がってきた『トイ・ストーリー』を観て考えを一変させた。ジョブズは、この世界初の3Dアニメに、ほれ込んでしまったのだ。ジョブズは生まれ変わったらアニメ監督をしたいとまで言うようになった。長年、パトロンに悩まされてきたキャットムル達は、ようやく、志を同じくするパトロンを手に入れた。


そして『トイ・ストーリー』は信じられないほどの成功を収める。発表された1995年の全米最高興行収入を叩きだし、更にアカデミー賞オリジナル脚本賞を受賞した。そのあとのピクサーは、皆が知る、世界最高のアニメ、どころか、世界最高の映画を作り出す会社として、名声をほしいままにする。



『トイ・ストーリー』は、アニメ製作を夢見てきたCGオタクたちの、CG研究所から始まったとてつもなく長い滑走期間を経てようやく離陸した、夢の結晶だった。パソコンがチャチャーンといって立ち上がっていた時代に、一切の妥協を許さない人間達が命を削るこでのみ成し遂げた偉業だったのである。


最後に一言言いたい。


あーほんと、ピクサー怖い。